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パリの中華街

DSCN18040.JPG 期せずして前回に引き続き中国関係の話になりますが、先日、久しぶりにパリ13区の中華街に行ってきました。中華街というと、日本では横浜中華街や神戸南京町、さらにはロンドン・ソーホーの中華街のように、街区全体が漢字の看板と中華風の装飾、さらには牌楼(門)といったものを思い浮かべますが、パリ13区の中華街は漢字の看板は勿論あるものの、街並みとしては全くこれらとは違います。写真のように、高層団地の谷間に中華スーパーや中華料理店等が軒を連ねており、日本で言うと郊外の住宅公団団地の中に忽然と中国人のお店が現れたという感じです。なぜこのような風景が生まれたのでしょうか?


 少し調べてみると(といってもいつもの通りウィキペディアで見ただけですが)、面白いことが分かりました。もともと、この辺りは1960年代から70年代にかけて行われた都市再開発の対象となっており、ル・コルビュジェの提唱に基づき1933年に採択されたアテネ憲章に示唆を得た機能主義的な街が出来上がり、パリの若いホワイトカラーの人々が多数移り住んでくるはずでした。が、実際にはこの高層マンション街は、中心部からの遠さ(日本の感覚からすれば遠いとは思えないのですが…)や過度の画一性という点で、パリジャンたちの趣味にあわなかったようで、当初目論見どおりの入居者を集めることが出来なかったようです。他方、折りしも70年代は、ヴェトナム戦争やカンボジア内戦の頃であり、東南アジアの国々在住の特に中国系の人々がフランスに逃れてきたわけですが、彼らは、先のような事情でまとまった数の空き物件が残されていたこの地区に目をつけ、次々に移住してきたというわけです。つまり、彼らは中国系ではありますが、東南アジアで暮らしていた人たちなわけです。パリの中華料理屋には、中華料理のほかにフォーなどヴェトナム系のメニューもあったりしますが、こういうことなんですね。パリの中華街では、北京語よりも、潮州語(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%AE%E5%B7%9E%E8%AA%9E)や広東語が広く使われているそうです。DSCN17980.JPG

 その後、近年では中国で生まれた中国人が多くやってきているようです。この街は、冒頭に挙げたほかの中華街とは違って観光客向けのスポットとは言いがたいのですが、旧正月の行事などは見物人も多いようです。また、中国、ヴェトナム関係を中心に韓国や日本の食材まで手に入る中華系大型食品スーパー(写真のタン・フレール(陳氏兄弟公司)など)があるのは、横浜・神戸やロンドンと比べた場合に特徴的なことだと思います。地元人向けの街ならではですね。結局この日はシンハービール、チンタオビール・プレミアム(初体験)やら、えのきや白菜(→すき焼き)やらを買って帰りました。
 なお、パリにはこの他、19・20区のベルヴィルや、小規模ながら3区アール・エ・メチエにも中華街があるのですが、それぞれ成り立ちが違うようで、興味深いところです。

 

 


 


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