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デュギー生誕150周年

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 ところで、今年2009年は、フランス第三共和制の代表的公法学者であるレオン・デュギー(Léon Duguit、1859-1928)の生誕150周年にあたります。デュギーは1859年2月4日、ボルドー近郊のジロンド県リブルヌに生まれました。ちなみに、このあたりも当然ワイン生産が盛んで、近くにはポムロールやサンテミリオンといった著名産地もあります。さて、デュギーはボルドー大学法学部を卒業後、1882年、24歳の若さで教授資格試験に合格し、カン大学に赴任、86年には母校に戻り、以後ボルドーを拠点に活躍します。その令名は海外にも知れ渡り、数多くの海外でのミッションをこなしました。アルゼンチンやアメリカ等での講演旅行や、とりわけ、エジプト大学法学部の創設に当たり指導力を発揮し、1925年から翌年にかけて初代学部長としてカイロに滞在しました。そのときの講義録が、生誕150周年を記念して今年中に翻訳が出版されればいいなと思っている『一般公法講義(Leçon du droit public général)』であり、後述のようなデュギー公法学のエッセンスが簡潔に展開されている貴重な書物です。
 第三共和制(1870-1940年)は、フランスの憲法・行政法の研究水準が大変高まった時代であり、日本でも宮沢俊義など代表的な学者に大きな影響を与えました。デュギーはこのようなフランス公法学の黄金時代を代表する学者の一人であり、戦前にはいくつもの著書が日本語に翻訳されています。実際、この時期には優れた公法学者(私法学者もですが)が数多く登場し、独創的な理論を展開しました。デュギーはその代表的存在の一人であり、主権や権利といった法学の基礎的概念そのものを否定し、実証主義や社会連帯論に基づき壮大な独自の法体系を築きあげました。
 もっとも、このような主権、権利否認論は、その結論のあまりのラディカルさゆえに大方の支持を得るに至らず、後世への影響力は限定的であるといわざるを得ませんが、ラディカルな主張により従来疑いもなく受け入れられていた観念の再考を迫った点は重要だと思われます。他方、これら以外の側面について、デュギーの多元的国家論的な主張は、フランスの「一にして不可分の共和国」という伝統的ドグマの見直しの文脈で改めて注目する必要もあるかと思われます(実際、近年、その主要著作のほとんどが復刊されています)。
 個人を記念するイベントの大好きなフランス人ですが、前段落前半のような事情からか、今回の150周年はそれほど盛り上がっていないようです。しかし、デュギーの本拠であるボルドー大学で、今年の5月29・30日に大規模なシンポジウムが、またそれにあわせて写真や遺品等の展示会が開催されました(詳しくはこちら)。見に行ってみようとも思ったのですが、その頃はシアンスポの講義に追われ果たせなかったのは残念です。このシンポジウムでは、今や売れっ子憲法学者となったオリヴィエ・ボー、オリヴィエ・ジュアンジャン両教授が報告しているほか、英国、スペイン、イタリアからの報告者が各国でのデュギーの影響(実際、デュギーの作品の外国語訳は多数に上り、当時のフランスの憲法学者の中では突出していたのではないでしょうか)を紹介しており、なかなか盛大な集会だったものと思われます。
 2年後の2011年には、やはり第三共和制を代表する憲法学者で、日本にも大きな影響を与えたカレ・ド・マルベール(Carré de Malberg)の生誕150周年がやってきます。おそらく、それを記念してストラスブール大学辺りでシンポジウムが開かれることでしょうが、このように折に触れて過去を振り返るのも有益なことかもしれません。


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