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プールから美術館への転身

 今週はリール大学の最後の講義で、リールに通うのも今回が最後です。講義の方は反応はよくわかりませんが、とりあえず無事終わりました。他の先生方の話を聞いていて意外に思ったのは、学生は余り積極的でなく受身であるというようなどこかで聞いたことのある話題があったことです。留学生の多いパリ政治学院(シアンス・ポ)でも教えているある先生も、フランス人学生は控えめだが、アメリカ人やオーストラリア人は積極的だなどという話をしていました。私自身は、パリで話をしたときなどは、話の途中でもすぐ手を上げて質問しようとする学生が沢山いて、フランス人学生が受身とは思えないのですが、とにかく意外な話でした。
 今週はまた別の仕事が始まったのですが、これはまた次回にでも書きたいと思います。
 リールでの講義のあと、地下鉄(世界最初の無人運転・新交通システムのメトロだそうです(83年開業)。神戸のポートライナーとか横浜シーサイドラインが地下を走っている感じです。2両編成のかわいらしいものですが、パリのメトロ並みの頻度で走っているので、京都の地下鉄のように設備は本格的だがなかなか来ないというアプローチよりも便利です。)に乗って近隣のルーべ(Roubaix)という町に行ってみました。ちなみに、ルーべとリールはトラムでも結ばれており、帰りはトラムで帰ってきました(さらに言えば国鉄でも結ばれていますが、これはこのような近距離移動用ではなく、本数が少ない)。
 近代のリールも繊維産業で発展したのですが、ルーべは、19世紀には繊維産業で世界的に知られたほどのところだそうで、マンチェスターをしのぎ、今はオーストラリアにある羊毛取引所がかつてはここルーべにありました。たしかに、町の中心にある市庁舎は小さな町にしては大変立派で、かつての繁栄を物語っています。
 また、かつての工場の建物がいくつか残されており、今では公共施設等として利用されていますが、大変大きな建物で、やはり往年の栄光を示すものです。

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 ただ、今日この町最大の観光スポットは、「ラ・ピシーヌ(La Piscine)」と呼ばれる美術館です。ピシーヌとはフランス語でプールのことで、その名の通り、かつて公共プールだった施設が、美術館及び織物関係の博物館として利用されています。もともと、戦間期にプールとして建設されたのですが、そのアール・デコ調のデザインから、最も美しいプールとして知られました。1985年にプールとしての役割を負えたものの、その美しさを惜しむ声があり、美術館として生まれ変わった訳です。現在もプールの部分は残されており、周りに彫刻等が配置されています。

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 隣接する展示室には絵画等も多数ありますが、19世紀末から20世紀前半のものが中心で、誰もが知っている画家の作品というのは残念ながら少ないようです。ただ、1枚だけ藤田嗣治の作品がありました。また、この時期の作品というのは、パリの大美術館では余り見ない(または他の有名作品の影となり目が行かない)様な気がするのですが、この時期の風俗が画題として取り上げられており、その意味で興味深いことは確かです。
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